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姓 |
道上 (みちがみ) |
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名 |
伯 (はく) |
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生年月日 |
西暦1912年10月21日 |
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出生地 |
愛媛県八幡浜市 |
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職業 |
柔道師範 |
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住所 |
5bis,rue poquelin Moliere 33000 BORDEAUX FRANCE |
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柔道 |
日本 |
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始 |
1920年 8才 |
相撲(学生チャンピオン)、剣道、漕艇、水泳 |
1級 |
1924年 12才 |
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初段 |
1927年 15才 |
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2段 |
1929年 17才 |
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3段 |
1932年 19才 (1932年7月) |
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4段 |
1935年 22才 (1935年7月) |
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5段 |
1937年 24才 (1937年7月) |
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6段 |
1942年 29才 (1942年7月) |
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7段 |
1951年 39才 |
24年間昇段なし(日本を離れていた為) |
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日本を離れる |
(CNG/FIJ)フランス柔道連盟 |
9段 |
1975年 63才 |
フランス政府らによって、24年ぶりの1階級飛ばしの9段授与。 |
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1990年に於いて、70年間の柔道家及び師範歴を達成する。 |
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空手道 |
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8段 |
1983年 71才 (全日本空手道連盟) |
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学歴 |
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1926年 |
13才 中学校 |
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1933年 |
20才 立命館大学で法律を学ぶ |
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1934年 |
21才 大日本武道専門学校(武専)入学。(日本に於ける唯一の武道専門学校) |
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4年間学ぶ |
中国哲学(儒教) |
合格定員数1学年20名 |
心理学 |
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教育学 |
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古文 |
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生理学 |
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衛生学 |
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骨格学 |
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柔道理論(型) |
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法律学 |
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漢文 |
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整復術 |
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整活術 |
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等々 |
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1938年 |
25才 3月 京都武専を卒業 |
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4月 旧制高知高等学校助教授 |
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1940年 |
27才 上海の東亜同文書院大学教授(現上海交通大学)学生・生徒主事 |
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厚生課次長 |
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1942年 |
29才 5月7日 昭和天皇任命による教師号を授与 |
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1947年 |
35才 柔道整復術免許取得 |
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柔道整活術免許取得 |
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恩師 |
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生前の段 |
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赤 松 |
7段 |
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磯 貝 |
10段 |
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田 畑 |
10段→投げの型に大内股を導入した先生 |
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福 島 |
9段 |
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栗 原 |
10段 |
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森 下 |
9段 |
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胡 井 |
9段 |
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代表的日本に於ける出来事 |
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1926年 |
13才 初段審査合格。 |
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1927年 |
15才 初段達成。 |
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1935年 |
22才 武専柔道部2年生の主将。 |
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1937年 |
25才 5段。 |
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1937年 |
講道館、嘉納治五郎先生に招待される。 |
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1939年 |
27才 高知県代表チームキャプテン |
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1940年 |
28才 神武天皇2600年祭東西対抗試合に優勝。 |
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1941年 |
29才 橿原神宮大会において東西対抗試合に優勝。 |
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1942年 |
30才 11月3日 6段授与 |
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※1953年まで個人戦は存在しなかった。(対抗試合ばかりなのは、そのためである) |
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2002年 |
89才 8月4日 永眠 |
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師範としてのキャリアーヨーロッパ、アフリカ |
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1953年 |
40才と7ヶ月 7段(すでに2年) |
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1954年 |
42才 チェニジア、アルジェリア、モロッコの最高技術顧問となる。 |
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1955年 |
43才 オランダ柔道協会の最高技術顧問を13年間(1968年まで)。 |
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成果 |
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1961年 第3回世界大会(パリ) |
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1964年 柔道初参加の東京オリンピック |
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1954年 |
福田師範を助手とし、2週間カンヌで講習会。 |
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1955〜57年 |
クルティーヌ師範を助手とし(現、フランス柔道連盟会長、9段) カンヌで2週間の講習会。 |
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1956年 |
44才 フランス有段者(初段以上)の最高技術顧問 |
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1956〜58年 |
モロッコ柔道連盟の最高技術顧問 |
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1958年 |
46才 ボルドーに於いて国際柔道講習会をスタート。39年間続く。 |
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1959年 |
47才 マルガッシュ国(アフリカ)の最高技術顧問(毎年1ヶ月間の講習会) |
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1961年 |
49才 講習会をヨーロッパ、アフリカ全土で行う。 |
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1964年 |
52才 チャーター便でフランス柔道家を101名訪日させる。 |
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1971年 |
59才 永久昇段審議委員にフランス政府より任命される。(1971年9月1日) |
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1974年 |
62才 オーベルビリエに於いて道上道場のオープニングセレモニー(400u)がフランス第3チャンネルで放映。 |
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1974〜85年 |
プリバに於いて11年間7月に講習会。 |
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1984年 |
72才 道上柔道アカデミー設立(AJM) |
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1987年 |
75才 サンドゥニーのジェラルドフィリップ劇場におき、1000人の観客の前でデモンストレーション、フランス第2チャンネルに放映。 |
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受賞 |
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1962年 |
50才 マダガスカル オフィシエ・ロードル・ナショナル・デュ・メリット受賞 |
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1964年 |
52才 マダガスカル国から十字勲章授与 |
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1981年 |
69才 フランス国シュバリエ・ドゥ・ロードル・ナショナル・デュ・メリット受賞 |
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1987年 |
75才 日本国 勲4等受賞。1987年7月7日、本野フランス大使から授与 |
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その他ヨーロッパ、アフリカ各国(1953年以降講習を行った国)から名誉賞を数多く受賞 |
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生涯、全試合一度も敗戦の経験なし。 |
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