ではヘーシンクは何故、日本柔道を制することができたのか。

東京オリンピックで、ヘーシンクが勝利を収めている瞬間の写真に、一人の日本人が写っている。

勝利を確信した周囲が湧いているにも拘わらず、勝負の終わりまで見届けなければ終わりではないという緊張感か それとも胸中複雑なものがあるのか、彼の表情は強張っている。

 
 
この東京オリンピックに先立つ第三回世界柔道選手権大会(1961年)で勝利したヘーシンクは、その際、心よりの感謝を受けて欲しいと、ただ一人、師を試合場に招き、 呆然とする日本人選手団を目の前に喜びを分かち合った。
 
喜びを分かち合う二人 左に伯氏、右にヘーシンク選手
 

そして、1964年の東京オリンピック。

日本最強の神永選手を倒し、オランダのアントン・ヘーシンクは無差別級で金メダルを獲得した。

道上伯
は自分の育てたヘーシンクが世界一強い事を確信し、試合直前までヘーシンクを励まし続け、優勝の喜びを真っ先に分かち合った。

半生を海外に置きながら、武道としての柔道を断固として守り通し、これをもって、 結果として日本柔道を破る最強の選手を育て上げた日本人武道家、道上伯

日本柔道の運命を憂いながら、図らずも、その歴史に決定的な影響を及ぼした彼の柔道人生とは、どんなものだったのか。

 
真剣を構える伯氏
 
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