それから一年たった。一九五六年に第一回
世界選手権大会(於東京)が開かれた。その大
会に、期待をもって、というよりも、雰囲気
に浸ってこい、といって彼を送り出したが、
予想したとおり完敗してしまった。
 さらに二年たった。一九五八年の第二回大
会(於東京)には、思う存分畳の上で暴れて
こい。しかし、大会前の練習では特に気をつ
けて未完成な技術を研究しつくされないよう
に、と注意をあたえておいたのであるが、や
はり未熟だったのであろう、大会前すでに吉
松義彦君や山舗公義君に研究されて、彼は惜
敗して帰国してきた。
 しかし、ぜんぜん私はがっかりしなかった。
このことは彼にとっても、オランダ柔道界に
とっても大へんな勉強になったのは事実で、
以来彼はただ黙々として私の指導のもとに精
進していった。
 彼が体力を作るために何をしたか?参考ま
でに二、三挙げてみれば、自転車のペダルを
踏んで脚力をつけ
(彼も自動車をもってはい
るが)、フット・ボールをすることによって
反射運動ならびに足関節を鍛え、百二十五キ
ロのバーベルをヒューッと瞬時にもちあげる
練習
またこれを左右に勢いよくふって相手
の崩しの練習、等々。さらに、
鉄棒にアゴを
かけて両手を
放してぶらさがり、首の筋肉の
鍛錬、レスリング、こう数えれば実のところ
キリがないが、どれにせよ、これを始めるに
当っては、必ず私に承諾を求めてから実行す
るというすなおさであった。
 彼は日曜となるとほとんど友人や弟子たち
と山に登り、切り倒された大木をころがした
り、ボールを蹴り合ったりして新鮮な空気を
吸い、体力作りと雑念を遠ざけ、再び俗界に
もどるということをくり返してきた。
 彼に感心することは、枚挙にいとまがない
が、アルコールを慎み、煙草を口にしないと
いうこともその一つ。オランダはいわゆる煙
草の本場で、安価でしかも実にうまいのが多
いが、そのような社会環境の中で煙草を口に
しないということは、強い意志をもつ彼にし
て初めて出来ることであった。
 第二回大会より、さらに精進と努力と節制
の二年がたった。六一年一月十六日、単身日
本へ渡ったヘーシンクは約二ヶ月の後オラン
ダへ帰ってきた。彼を迎えた私は、一瞬、思
わずおのれの眼を疑った。これがあの弱気な、
劣等感のかたまりみたいだった青年なのか、
という驚きだった。悠揚せまらざる態度、落
着いた挙措、自信あふれる十分な貫禄、それ
らは選手権者としてのそれではないか。
 彼は日本の柔道界をたしかにその眼で見て
きた。優秀選手の技術を研究しおのれの身体
で感じ、自分のものとし、そして私のアドバ
イスどおり彼の真の強さを秘し、得意技をみ
せずに帰ってきた。やさしい微笑を口もとに
漂わせながら……。私は、この時、よし勝て
るぞ、の自信をしっかりと抱いたことであっ
た。