背の高い建築労働者
 
 オランダ柔道協会に私が関係をもったの
は、一九五五年(在欧二年足らず)の陽春のこ
ろのある日、突然、フランス柔道協会会長ボ
ネモリ氏(現国際柔道連盟事務総長)から、
「本日の午後オランダ・チームを指導しても
らいたい」との申し入れがあった時にはじま
る。
 しかし、普通の指導だけでもいささかヘバ
リ気味だった私は、そんな押しつけがましい
申し入れにははじめから気乗り薄だった。そ
こで簡単に不承知を伝えたのだが、どう断っ
てもオランダ選手団が、
度だけでいいから」
 といって引きさがらないという。ボネモリ
氏も困ったが、私は一層閉口した。それで、
やむなくしぶしぶ引受けて約二時間あまり指
導することにした。縁は異なものというが、
このたったの二時間がずっと今日まで、私と
オランダ柔道協会とを結びつけることになろ
うとは、想像だにしないことであった。
 選手の中に、背の高く顔色の悪い約八十五
キロあまりの建築労働者がいるのに、私が気
がついたのは、指導をはじめてから間もなく
である。彼は技といえば内股一本槍で、まだ
さほど威力があるというほどではなかった
が、指導如何では案外伸びそうな、そして性
質が実にすなおな好青年だった。名をヘーシ
ンク(当時二十歳)といった。
 図体が大きいくせに、劣等感の持主という
か、妙にはにかみ屋で、日本人の私にたいし
ては特に遠慮がちであった。そこで私の方か
ら出来るだけとりつき易いようにしむけるの
だが、私の顔をみただけでも、緊張のあまり
顔をこわばらせるのだから、いささか扱いか
ねた。そして、オランダ柔道教師仲間の間で
かわされている”あいつは力ばかりで柔道で
はない、剛道だ”という軽蔑の言葉だけが、
私の耳に入ってくる。私は考えた。まずオラ
ンダの柔道人口をふやさねばならない。それ
には強い、立派な柔道家をつくることが肝要
だろう。私はこの候補にヘーシンクを名ざし
たのである。そこで、彼に酷評を下す教師仲
間に「一丸となって優秀なる選手を育てよ
う」と説きに説いたのだが、これが効果あっ
たのか、やがて仲間も私に協力するようにな
ってきた。